空が、光った
イチヤは、灰と煤で黒く汚れた顔を空に向け、ただ呆然としていた。何が起きたか分からなかった。
衝撃で直ったのだろうか。COMPは以前と同じような機能を取り戻し、周りに敵のいることを知らせている。
彼の隣にはケルベロスが居り、低く唸っている。
しかし、イチヤは呆然としたまま動かなかった
※※※
魔界から帰還を果した後、イチヤは酷くぼんやりとした様子で空ばかり見つめていた。
チャーリーが声をかけても、あぁ、だのうん、だの、会話にならない相槌しか打たない。まるで、心をすべて、魔界においてきてしまったみたいだ、と、チャーリーは思う。
実際そうなのかもしれない。
魔界での彼を形作るきっかけになった人間は、チャーリー以外誰も戻ってきてはいない。
…………のになぁ。
上の空で呟く相槌以外の言葉に、そんな呟きを聞くたびに、彼の確信は強くなる。イチヤは、向こうに残った人たちを心配しているのだと。お世話になったのに、礼一つ言えていない事実が憂鬱なのだ、と。全く、お人よしにも程がある。
せっかく戻れたのに、イチヤがコレじゃ意味が無い。もう少し喜べば良いのだ。自分達がこうやって日常を過ごせているのは、自分達が動いたからに他ならないのだから。戻って来れなかった奴らは、動かなかったのがいけないのだ。そうに違いない。
しかし、そんな事を思っても、言葉にして言うのは憚られる。
彼の腕には、未だCOMPがあり、生体マグネタイトがあるか否か分からないとはいえ、未だ仲魔は呼べるのだ。下手に非難して、殺されるのは面白くない。
イチヤは、別に好きでぼんやりとしているわけではなかった。
心を向こうに置いてきたのは事実だが、別に魔界に置き去りにされた人達を心配している訳でもなかった。
チャーリーは違うのだろうか。
イチヤは時折不思議に思う。何故、彼は以前と同じ生活を送れているのだろうか、と。
楽しかったのになぁ。
イチヤは呟く。魔界での、命を張り合った日々は、彼の心に大きな変化を及ぼしていた。命を張る高揚感。一歩間違えば殺されるかもしれない駆け引き。穏やかで争いごとの無い日常とは表と裏ほどに違う毎日。
現代ではなくなった、新たな世界への挑戦。
茫洋とした毎日が、偽物のように思える。ただ、ぜんまい仕掛けのからくりのように繰り返されるだけの日々。
渇望していた。ひょんなことで殺されるかもしれない日々を。
羨ましかった。魔界に『残ることが出来た』人達が。
しかし、それを言葉に出す事はなかった。
言葉に出したが最後、異常だと思われるに決まっている。この世界よりつまらない、白い牢獄へと移される事だけはごめんだった。
魔界から帰って以来、動かなくなったCOMPだけが枯れた心を癒してくれた。
※※※
誰も、簡単に気づいたりはしないらしい。
楽しいと言う物が一体何かと言う事には。
※※※
その日、イチヤは外を歩いていた。
何となくCOMPの調子が良かったからだ。
そうだ、チャーリーと魔界の話でもしてみよう。何となく思い立った事が名案に思え、彼は一人で笑った。チャーリーの家なんて知らなかったが、今日は調子が良い。きっといける。
ふらふらと歩いていると、遠くに金色の物体を見つけた。あぁ、違う。金色の髪の毛だ。
遠くから見ても分かる。チャーリーの髪だ。金髪ならたくさんいるが、あの制服を着た金髪はチャーリーぐらいしかいない。
「おおい、チャーリー」
声をかけると、相手も気づいた様で、意外そうな様子で声を返してきた。
「何やってんだよイチヤ。お前、調子悪いんじゃなかったのか!?」
「うん、今日は良い!」
単純に嬉しくなって手を振ると、遠くからでも舌打ちが聞こえてきた。
「何ガキみてぇなことやってんだよ」
「いや、なんか奇跡だなって思って!」
「はぁ?なんだよ奇跡って」
「今からさ、チャーリーの家に行こうかなって!」
「おめぇ、俺の家しってんのかよ!」
「知らない!」
阿呆か!とツッコミが入った。
阿呆だね!と返事をした。ますます嬉しくなって、イチヤは駆け出す。
今日は気分が良いんだ。一緒に買い物でも行こうよ。それから、魔界に行った時の話でもしよう?良いじゃない、友達になったきっかけなんだから。
あぁそうかい、それは良かったな。で、何で買い物なんて女みてえな事しなきゃいけねぇんだよ。あん時の話なんてさらにごめんだ。大体、何時俺とお前が友達になった!
くだらない会話に嬉しくなる。
あぁ、そうか。コレが日常なんだ。どうしようもない毎日に、ちょっとした出会い。
どうしようもないからちょっとしたことが嬉しくなる。それが日常なんだ。
「……何ニヤニヤしてんだよ、気持ちわりぃな」
眉を顰めたチャーリーの言葉に、失礼だな、と返そうとしたとき
空が、光った
I.C.B.Mが地上に落ちた。
四ッ谷で、哀しみの咆哮がアメリカ大使館にこだまし、消えた。
イチヤは、灰と煤で黒く汚れた顔を空に向け、ただ呆然としていた。何が起きたか分からなかった。
衝撃で直ったのだろうか。COMPは以前と同じような機能を取り戻し、周りに敵のいることを知らせている。彼の隣ではケルベロスが低く唸っている。
しかし、イチヤは呆然としたまま動かなかった。
目の前が霞んでいる。まぶしすぎる光を見た目は、その衝撃に耐え切れず弱いものへと構造を変化させていた。
細かな破片により傷つけられた手は…それよりも激しく傷つき動かないチャーリーの身体を抱いている。靄のかかる視界の中、手探りで見つけ出した彼の身体は、半分しかなかった。
「……なんで…」
呟いた彼の隣に、ケルベロスが寄り添った。
「行クゾ。ココハ、危険ダ」
鼻先で人の欠片を押しのけ、イチヤの腰を押す。
あぁそうだねと呟いたイチヤの声は、魔界から返ってきたときよりも胡乱だった。
生き残った者と死んだ者の差はいったい何なのだろう。
出てもいない涙を拭うと、イチヤはふらりと立ち上がり――戦場と化した世界へと足を踏みだした。
…軽子坂高校って、一体どこにあるんだろう(まて)
ifと真・Tが同一世界で近い時間枠なら、たとえ魔界から帰ってきても安息の地はなさそう。I.C.B.Mは近いぞ。
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