無音約定







 人間、旨い物を食べている時は無条件で幸せになれるといったのは一体誰だっただろう。





 竜宮の帰り道、帝都大學の近くで買った大學芋の袋を見せると、普段そっけないを絵に描いた様な少年は、小言用に開いた口のまま、ぴく、と反応した。
 普段ならば即行で、貴方は、と来るはずの少年が、何も言わない事に満足して鳴海が笑う。
「作りたてらしいぞ」
「……そうですか」
 にやにやと笑った鳴海の言葉に、ライドウはすぐに視線を手元に戻した。
 どうやら、過去扱った事件(そう多くは無いのだが)の書類整理をしているらしい。
「……どうだ、そっちの方、進んでるか?」
「まぁ、はい」
「そろそろ休憩にでもして、これでも食うか?」
「…………これが終わってからにします」
 努めてそっけなく返そうとしては居るが、うずうずしている様子が手に取るように解る。
 書類を整理する速度があからさまに遅くなり、通常であれば殆ど聞こえない、紙が落ちる音が頻繁に聞こえて来る。「あっ」などと言う呟きが聞こえ、助手の姿が机の影に隠れるのを見るに、書類を落とす音だというのは容易に想像がつく。
 最初から整理しておけ、と小言が来なかっただけでも十分だが、ここまで来ると、もう既に笑うしかない。
 微笑ましく思えば良いのか、楽しめば良いのかに迷っていると、突如、にゃあ、とライドウの足元で猫が鳴いた。
 うるさいな、と返したところを見てみるに、どうやらからかわれたらしい。心なしか、猫の顔が笑って見える。
 にゃあ、とさらに猫が鳴き、ライドウの、色の白い面に見る見るうちに血が上る。
 顔を赤く染めた少年は、足元に向かって、幼いが険のある表情を向けた。
「僕だって……そんなこと……いや、ま……ご……なん……。………馬鹿」
 ……一体、どんな会話がなされているのだろう。
 一応こちらに気を使ってか、小声でのやり取りとなって居るのだが、それが逆に気になる。
 特に、最後の馬鹿が気になる。全くこの一人と一匹は、人が見ているという事を覚えているのだろうか。
「あのさー、ライドウ?」
 あまりの疎外感に思わず問いかけた途端、ライドウが椅子から落ちた。









 一瞬の空白。










 心遣いのつもりか、申し訳程度に視線を逸らしながら鳴海が肩を揺らし、にゃうん、と猫が笑った。二人の反応に、漸うこちらの世界に戻ってきたライドウが、無言のまま帽子を目深に被った。
 無論、地面に座ったままで。
 きっと、今頃は茹でたタコか夕陽の如く、真っ赤になって居るに違いない。
 相変わらず俯いたままのライドウが椅子に座りなおす頃を見計らい、鳴海は声をかけた。
「何か疲れてるみたいだしさ、ちょっと休憩にしたらどうだ?」
 声は僅かに笑っていたのだけれども。












 己の気まぐれで買った土産物を振舞う際は、指定席の窓を背にした立派な机に座っていた鳴海だが、この日は依頼人用の椅子に腰掛けていた。
 理由は一つ。
 大學芋を食べる少年を、真正面から見るためだ。
 金色に光る蜜を絡めた芋を箸で摘まむ表情は、少年らしい高揚感に包まれていた。大學芋一つでここまで嬉しそうな顔をする人間を、鳴海は一度も見たことが無い。
 足元に居た黒猫が、やはりにゃぁん、と笑った。うるさいな、と返したのだが、その表情の影に見えるものはやはり笑みだ。酷く幸せそうな笑みだ。
 きっとからかわれたのだろうが、本人全く気にしちゃ居ない。
「なぁ」
 気まぐれに声をかけてみた。あまりに幸せそうなのと、まるで対面に人が居る事など全くもって忘れているような姿に、ちょっかいをかけずには居られなかったからだ。
「はいはい」
 そうしたら、はいが二度も返ってきた。
「明日、桜でも見に行くか?」
「いいですね」
 肯定された。その上即答だ。
 仕事はどうしたなんて聞くそぶりすらない。
「どこに行きましょうか」
 挙句の果てに乗り気と来た。恐るべし、好物の力。
 諺に、エビで鯛を釣るというが、まさにこの事を言うのだろう。
「……そうだなぁ……」
「なんなら、仲魔に探させて……あれ?」
 私事に仲魔は使えない、と言っていたのが嘘の様に乗り気なライドウの、最後の大學芋を摘まむ手が止まった。
 うん?と首を傾げる鳴海を前に、ライドウは困った様に自分と相手を見比べた。
「鳴海さんは、食べないんですか?」
「…………」
 きょとん、と鳴海がライドウを見て。
 ぽかん、ライドウが鳴海を見詰め。





 暫しそのままの状態で、にゃう、と猫が鳴くまで二人で何故か見詰め合った。






 最初に口を開いたのは、鳴海だった。
「俺、そこまで大學芋が好きって訳じゃあねぇしな」
「……だったら何で買ってきたんですか」
 ライドウの当然の疑問に、鳴海は
「ライドウ、好きだって言ってただろ?」
とは決して言わない。
 愛情の押し売りはするつもりは無い。そもそも、たかだか好物を覚えていた程度で、愛情だなんだと言って良いのかは謎なのだが。
「そりゃ、たまたまだろ。安かったし、丁度目に入ったからな」
 “たまたま”助手の好きな物を覚えていて、売っているそれに助手の喜ぶ顔を重ねたのだとしても、結局買おうと思ったのは気まぐれに過ぎない。
 喜んでくれたら良いと思った事自体、気まぐれでしかないのだ。何の意味も無い。

「それに」
「それに……?」

 訝しげに眉を潜めるライドウに、鳴海は笑う。
「俺はもう、お腹一杯だからね」
 案の定、なんの事だと不満気な声が返ってきた。
 だが、鳴海はそれ以上は言わない。言うつもりも無い。
 世の中、言葉に出すより出さない方が良い事は多い。



 最も、その逆も然りなのだが。






普通に仲良く
過ごしてみた
○5点

























「竜宮で何か食べてきたんですか?」
「…………そっちに取るか。
素直といえば素直なんだがなぁ……」
「……では、夕食はいらないんですね?」
「こちらとしてはあまりなぁ(ぶつぶつ)」
「人の話聞いてますか?仲魔呼びますよ?」
「ん?何か言った?」
「……オオクニヌシ」
「わ、待った、待った!ちゃんと聞くから、それは、ね?」