何となく寝付けぬまま、神鳳は時計を見上げた。
時刻は深夜一時半。
生意気な後輩からプリクラを貰ったと上機嫌だった葉佩からの誘いのメールは来ていない。この時刻に来ないとなると、葉佩達は既に墓の中だろう。
カーテンから覗く空には暗雲が立ち込め、月はすっかり隠れてしまっている。それならば、夕薙は墓を見回る事はできないだろう。彼の体調を考えるのならば、それはそれで良いのだが。
「仕方ない…か……」
ベット(本当は布団が良かったのだが、如何せん、寮は全て同じ造りの為、必然的にベットになってしまうのだ)から起き上がると、寝巻きから何時も着ている制服へと着替える。
誰に見られても咎められることは無いが、それでも人目を気にするよう、神鳳は部屋を抜け出した。
ゆっくりと、月の光が地上を照らし始めた。数々の墓が薄らと光を浴びて光っている。
りん、と己の存在を主張する鈴の音に、墓場をうろつく霊達は近づく事が出来ないでいる。散歩と言う名の見回りは、何者にも邪魔される事は無かった。
微かに立ち込める月光の下。黒く、日本の物とは多少違う形の墓の間に何か影を見つけ、神鳳の足が止まった。
月の光では、詳しい造詣は解らない。それでも、影が一体何者であるかは何となく理解できていた。
「……葉佩君…」
「…………?」
声をかけると、その影はわさりと動いた。あたりには場違いなまでの木の匂いが漂っている。
微かに月にかかっていた雲が吹き流される。
「なんだ、神鳳か」
月の光が強みを増したお陰で神鳳の姿を認める事ができたのだろう。意外と夜目の利かない宝探し屋はそれだけを呟くと、何事も無かったかのように作業に戻った。
さく、さく、と、奇妙な音が手元から漏れる。
「なんだ、とはご挨拶ですね」
思わず苦笑を浮かべながら近づく。強くなった月明かりを頼りに彼の手元を覗き込むと、細くは無いがしなやかな指が何かを削っているのが見えた。
横に置かれた金属と、朧気に残っている形状から、ハンガーであろうと目星をつける。そういえば、職員会議でハンガーがなくなるという話が出た、と聞いた事を思い出した。ついでに、生徒会室からも良くなくなっていたな、という事も。
薄く、あるいは細く、慣れた手つきでハンガーを削る姿に、一体いくつのハンガーを無駄にしだのだろうと言う考えが湧いて出た。一日一本と計算すると、最低でも六十本は無駄にしているということか。
よくもまぁ、それだけ盗んだ物だ、と言う考えより先に、この学校に、そこまで大量のハンガーがあったという事実に驚く。
神鳳がそれ以上の言葉を発さないのを良いことに、葉佩の手は作業をやめることは無い。あまり見たことの無い真剣な様子に、神鳳の心に探究心が湧き上がってきた。
「何を作っているんですか?」
「弓」
高揚を押さえた問いに完結に答えると、葉佩は横においてあったワイヤーを元ハンガーへと取り付けた。
「見えないこともないでしょ?」
そう言って、完成品を見せてくるその表情がとても誇らしげだったものだから、思わず神鳳は噴出してしまった。
確かに、ハンガーとワイヤーで作ったとは思えぬほどその物体は弓に似ていた。
だが
「それでは、矢は飛びませんよ?」
「え、飛ばないの?」
「…せめて、ワイヤーがたこ糸であればあるいは飛んだかも知れませんが」
「…………良いんだよ。こういうのは、気持ちなんだから」
「気持ち、ですか」
飛ばなくても売れるし、と言いながらも、葉佩の表情は不満そうだ。先ほどまで真剣な表情で作っていた彼曰くの弓を、ぽい、と投げ捨てしまった。明らかに言っている事とやっている事が違う。
闇夜に溶け無い程度の距離で、弓が葉を鳴らす音が微かに聞こえた。
如何にも残念そうに、ちぇ、と呟きながら葉佩が立ち上がった。
木を削る、と言う作業に似つかわしくなく、彼は制服を着ていた。コンバットナイフを懐にしまい、膝に付いた木屑を払いのけると、今更気付いたとでも言うように、そして実際今頃になって気付いた表情で口を開いた。
「そういえば、神鳳は?何してるの?」
「僕は、君以外の誰かがここへ進入していないか、見回りに来たんですよ」
とっさに口から出てきたのは、散歩だと言う当たり障りの無い真実ではなく、嘘とも真実とも言えない言葉だった。
「元」になってしまったのか、それとも未だに「現」なのかわからないが、とりあえず生徒会役員である神鳳の言葉を疑う事無く(彼は何時もそうだから当たり前なのだが)葉佩はただ、不思議そうな目を返してきた。
「俺はいいの?」
「ほう?君は、取り締まられたいのですか?」
「それは……あ〜……嫌かも……」
「でしょう?」
葉佩がため息をつく前で、神鳳は肩を震わせて笑っている。それを見る葉佩は、釈然としない表情になって居た。自覚の有無は解らないが、悔しがっている事は確かだ。
頬を膨らませる様なことはしなかったが、ちぇ、と舌打ちする音ははっきりと聞こえた。
「……帰る」
唐突に呟かれた言葉に、神鳳の笑いがとりあえず止まる。
葉佩へ視線を向けると、彼は不平の溜まった表情で、ハンガーの金属だけを拾い上げていた。自作の弓には見向きもしない。
「おや、今日は墓には……」
「潜らないよ。遅いし。疲れたし……誰かに取り締まられるのイヤだし」
「……僕は別に、君を取り締まるつもりは無いんですが……」
「……冗談なんだけど」
「…………葉佩君も、冗談を言うんですね……」
罰の悪い表情になったのは、葉佩の方だった。
「……誠実じゃないし。俺。そこまで」
「まぁ、そういうのは人それぞれですから気にしない方が良いですよ」
なんとも返答しがたい台詞への返事は、もやもやとした、中途半端な物になった。
結局会話はそれ以上続かなくなった為、神鳳も早く寝なよ、と去っていった葉佩を見ながら、神鳳は地に打ち捨てられた“弓”を拾い上げた。
弦代わりのワイヤーを弾くと意外と良い音がしたもんだから、これならもしかしたら矢も飛ぶかも知れないという考えが頭をもたげ、それなら自分は悪いことを言ったのだろうか、とひっそりと笑った。
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