あの時、一体何の冗談が働いたのかを、吉村は自分でも全く持って解っていない。
狐に騙されたのだ、きっと。
いや、あそこは稲荷が祭ってある所か神社ですらなかった。だがそれでも、狐に騙されたのだとしか思えない。
船べりで楽しげに海を見る、酷く純粋な目をした狐に。




「お前の仲間が凄い目で見てくる」


声をかけ一歩踏み出すと、海を見ていた目がこちらへと向く。
つい先日刃を交えたばかりだというに、なんて優しげな目なのだろう。彼に背後から近づかれるだけで刃を抜きかける自分を思い出し、吉村は途端に居心地が悪くなった。
三日前、たった三日前だ。
刃を交えるのを途中で諦め全てを捨て、彼の誘いに乗ったのは。
まだ少しだけ、土方や近藤の声で目覚める瞬間を期待できる。まだ少しだけ、心は新撰組にある。
だから、きっと吉村の反応は仕方ない。
彼の仲間の反応も、仕方ない。
三日で草花が芽吹くものか。

「ははは、そりゃ災難ぜよ」

なのに何故、彼は、坂本は、こうやって笑っていられるのだろう。

「笑い事ではない。………いずい」

その笑顔は、酷く居心地が悪かった。
収まりが悪いというか、例えていうならば、二つ折りにした紙の端が、ほんの僅かだけずれているような、そんな。

「……いずい?」
「私の国の方言だ。……意味は自分で考えろ」

どうせ一生解るはずもないのだが、説明するのが面倒だ。
ぽかん、と見てくる坂本に気付かぬ振りをして、吉村は海を眺めた。青く、広い海。大きな波を受ければただ、飲み込まれるしかできない。
それはまるで、坂本のようだ、と思い直ぐに撤回した。あまりに当てはまりすぎていて、怖くなったのだ。
溜息をつく吉村の横顔に何か思う所があったのか、坂本が不意に口を開く。

「そりゃーええが」

良くない。素直に悩んでいろ。


思ったが、口には出さない。

「おんし……訛っとったんか?」
「皆と同じように喋れるまで、二年ほど費やした」
「なんで訛りを消したんじゃ。訛っとるのは、別に恥ずかしい事ではなか」
「私は構わなかったんだが……」

溜息をつく。

「隊務の際、言葉が通じねば困るといわれた」
「……ふむ。確かにそれも一理あるのう」
「事実、一度ばかり失敗したからな……」

あれはまだ、隊にも任務にも馴れていない時だったか。一人の男を追いかけて、藤堂と街道を駆け上った時に、言葉の違いで連携が崩れ、ものの見事に逃げられた。
お陰で、新見には嫌味を言われ、土方にはこってり絞られ、沖田には笑われ、原田の所為で隊内全てが知ることとなり、近藤に微妙な慰め方をされ、非常に落ち込んだ。ちなみに、一番落ち込んだ原因は近藤だ。
その時の騒動と、あの後、土方に標準語をぎゅうぎゅうに詰め込まれた事を思い出し、吉村は思わず吹き出して
「…………?どうしたんじゃ、いきなり笑うなぞ、一郎らしくないぜよ」
訝しげな目に射抜かれた。

「……いや。なんでもない」

笑っては駄目なのか、とか、珍獣を見るような目で見るな、とか、色々言いたい事はあった。だが、とりあえず全ては封印し、当たり障りのない事を口にする。

「新撰組が、懐かしゅうなったんじゃろう」
「なんでもない」
「別に隠さんでもええ。そのぐらいで怒るほど、わしは心の狭い男じゃなか」

重ねて言った言葉をも、拒否されてしまった。
確かに、坂本ならば怒りはしないだろう。それに、彼の言った事もさして外れではない。
悩みがあるなら吐き出してしまえ、と笑う相手を見ながら、吉村は溜息をついた。
陸は既に遠い。
生まれ故郷から京都へと行った時も、似たような事を思った。だが、それよりもずっと、ずっと遠い所に、仲間だった者達は居るのだ。

「……。……初めて、皆と会った時を思い出した」
「…………」
「先生も生きていたが芹沢も生きていた頃だ。皆、尊皇攘夷を必ず成すと、それが自分達の仕事だと、欠片も疑わずに進んでいた頃の事だ。……私の訛りが最も酷かった頃でもあったがな」
「楽しかったがか?」
「いや。幸せだった」

嗚呼懐かしい。
何時も騒いでばかりいた。
夢ばかりが先に立ち、未来が明確に定まる事など一度も無かった。少なくとも、自分は。
ずっと「今」が続くのだと思っていた。未来などないのだと、このまま、皆と共に居られるのだと、そう。
笑える話だ。
ほんの一瞬見えた未来が、かつての敵の視線の先だったなんて。

「わしと一緒に来た事、後悔しちょるんじゃないがか?」
「あぁ、してる」

本当に、お笑い種だ。
どうしようもないぐらいに馬鹿な話だ。
未来なんて、あの頃から見えていたはずだった。皆と共に居る未来が、確かに。
何時から、それが未来だと認識できなくなったのか。
きっかけは、恐らく坂本だろう。
崩壊は、藤堂だった様な気がする。

だから、今までの未来を捨て、新しい未来へと縋りついた。
まだ、あの時見た未来に、未練があると知りながら。




――だが




「向こうに残っても恐らく私は後悔していた。世の中とはきっと、そういうものだ」










あぁ向こうに居る自分よ。
どうか後悔していると言ってくれ。







たらたらたらたらと、一月から書いてました。約一年越しかよ。
記憶が正しければクリア直後に書き始めたような気がします。
パラレル。一緒に未来を見ちゃった編。
坂本さんの口調がさっぱりです。本当に。


ちなみに無双で例えるなら凌統ポジションです(解り難い)



















































「行く」
刀を捨てる覚悟をした
ボロボロの体で
ボロボロの相手を引きずって
森の中を逃げ回った
船に乗った瞬間、涙が出た
それは後悔ではなく、安心の涙だった

だから今、後悔している。